FIREを目指す丸刈り薬剤師の雑記帳

34歳でセミリタイアした薬剤師が考えたことを気分の趣くまま記録します。大体はどうでも良い事を書き連ね、時々役に立つか分からないマニアックな記事を書いています。過去と同じ内容の記事を書くこともあるかもしれませんが、どうかご容赦願います。また投資についての記事もありますが、投資判断については自己の責任において各自判断してください。

安売りには勝てなかった

先日Dahonの折りたたみ自転車を買おうかと書いていたけれど、行きつけのホームセンターに行ってみたら27インチの変速機なし自転車が通常価格より4000円安く売っていた。しかし、安売り期間に期限があったので、すぐに判断する必要があった。1日考えた結果、これも経験だと思い購入してしまった。

前に借りていた自転車に比べて車体が重く、スピードも出にくいけれど、全く走らないわけではない。登り坂は若干辛く感じることもあるけれど、降りて自転車を引いて歩かなければならないほどではない。自分には時間がたくさんあるので、のんびり走る分には全然問題がない。運動不足が続く身としては太ももの筋肉にちょうど良い負荷がかかり、程よい運動になる気がする。

結局のところ自分に必要だったのはかっこいい自転車ではなく、自分を載せて走ることができる車輪だったということになる。

安い自転車とはいえ自分にとっては大きな設備投資だった。手入れを怠らず長く大事に使っていきたい。

麻雀同様自転車を発明した人は本当に天才だと思う。

自分が結婚相手に提供できること

30台後半を目前にして、やはり独りで居続けても良いのかと疑問に感じることが多くなった。求めるものはそれなりにあるけれど、自分がそれに見合う人間でなければ相手にされない。まずは自分が相手に提供できることを整理しておく。

 

1.可処分時間
自分は週4日で1日8時間程度の労働者である。通勤時間は徒歩で往復40分ぐらい。仮に仕事が18時過ぎに終わったら最短で18時半には帰宅できる。また週休3日なので、その日は完全に自由である。また、有休日数はフルタイム労働者と同じなので、最高で1年20日の有休が発生する。

 

2.収入
今は自分ひとりで生きていけるだけの収入でやりくりしているけれど、万が一を見込んで多めに働いている。税金や公的保険の負担額や比率を考えて自分の納得できる年収を稼いでいる。一昔前は専業主婦が当たり前だったけれど、それを提供することは難しい。しかし、一緒になることで労働時間を週20~30時間に減らすことはできる。今の仕事にやりがいを感じているけれど、時間が長すぎて疲弊しているなら良いかもしれない。
また、収入を給与以外に広げる意欲があれば、面白いことになる。これからの経験を何らかの形で収益化すれば、会社や定年に依存しない事業収入を得ることができるかもしれない。

 

3.住居
住居を購入してしまうと万が一の事態(災害や治安の急激な悪化など)が起きた時、身動きが取れなくなってしまうので、基本的には家族形態に合わせて賃貸物件を選んでいきたいと思っている。しかし、2000年以降に建てられた中古一戸建ての価格が大きく下がってきたら購入を検討しても良いかもしれない。

 

4.老後
現在保有している資産は基本的に老後の年金基金として運用している。少なくともインフレ率に負けない利回りで65歳まで運用できれば公的年金への依存度を大きく減らすことができる。今の資産額でも2人分の老後生活をまかなうことはできるかもしれないけれど、できれば自ら資産運用をしてほしいとも思う。最近になって非課税投資制度が充実してきた。自分は可能な限り楽をするための知識の習得に努めてきたので、必要な知識と道具を惜しみなく与えていくつもりだ。

 


少なくとも独り身であれば今の職場で定年まで週4日働き続ければ十分逃げ切ることができる。引っ越しをしてから時間が経って生活は大分落ち着いてきた感じがする。しかし、それと同時に何か物足りない感覚が出てきている。週1日をあらゆる家事に費やしたとしても週2日はゆとりがある。その空いた時間で現状何をしているかと言うとパソコン作業をしたり、読書や散歩をしている時間が多い気がする。読書や散歩はまだ良いとして、時にパソコンに向かう時間が8時間以上ととても長くなる時がある。そうなると眼にかかる負担がはっきり分かる。主に麻雀をしたり、Youtube動画や投資・セミリタイア関係のブログを見ていたりするけれど、そこから何かが生まれることは今後なさそうである。やはりパソコンから離れて現実に生きていかなければならない。

今は結婚に向けて活動する時間はある。問題はお金である。ある程度の資産を蓄えたとはいえそれは自分の価値観にとって十分な資産であり、相手にとってもそうだとは限らない。しかし、女性というのはあらゆる可能性を秘めている存在であり、時に衝撃的な価値観の変化をもたらすことがある。女性は感情的で気持ちが移ろいやすいなどといって結婚する可能性を排除してしまうのはあまり合理的でないと最近感じるようになった。
実際、今まで女性という異性に囲まれた職場に居続けて苦しいこともたくさんあったけれど、仕事上とはいえ大いに助けられた経験もある。もし、自分と一緒に戦う人がいたとすれば非常に心強い存在になってくれるはずだと勝手に思っている。

 譲れない一線

転職してから来週で2ヶ月になり、仕事はそれなりに覚えて卒なくこなせるようになってきた。しかし、例の不出来な社員は相変わらず文句を言われている。そうなってくると社員でないとできない仕事以外(主に金銭や在庫関係)は自分に頼って来るようになってくる。それを信頼の証と考えれば、とてもありがたいことではある。
最近は夜の仕事がなかなか忙しいらしく、朝の1時間を1人でやってもらえないか相談された。30分であれば、どんなに忙しくても踏ん張れるけれど、流石に1時間となると疲労度はかなり高まってくる。不確実性が高まり、患者さんから苦情を言われるかもしれない。今の職場は処方日数も長いものが多く、まだまだ患者さんの特徴を把握しきれていない。そういうわけで今は勘弁してほしいと言っておいた。
以前は朝は1時間1人でやっていたようだけれど、例の社員が上手くやりくりできないために30分に短縮された。社員ができないことをどうして自分にできようか。社員の給料を時給換算して自分と同じ時給であれば納得できるけれど、とてもそうだとは思えない。これは同一労働同一賃金に反するのではないか。
社員にできないことを経験年数が長いと言うだけで無理を強いられるのはまっぴらごめんだ。まだ試用期間なので、できるだけ事を荒立てないようにしていくけれど、徐々に限界が近づいているのを感じる。この1ヶ月が正念場である。それを過ぎたら様々な労働法令を盾に理不尽と戦っていこう。

無駄に時間をかけるという贅沢

今日の午前は衣替え、昆布の裁断、包丁研ぎと色々と家事を済ませた。

衣替えについて。暑い時はTシャツで出勤し、半袖の白衣を着ていたけれど、最近は室内の冷房でも寒く感じることがしばしばあった。というわけでそろそろワイシャツに切り替えることにした。
派遣社員の時、洗濯はほぼ100%全自動洗濯機に任せていて、ろくに手入れをしていなかったので、襟元が皮脂でかなり黄ばんでいた。流石にこれはなんとかしておきたい。漂白剤でごまかせるかと思ったけれど、皮脂汚れはやっぱり石鹸の方がよく落ちる気がしたので、ブラシを使い泡立ててこすってみた。最初はなかなか白くならなかったけれど、根気強くこすり続けていたらある程度の黄ばみは無くなった。最後に漂白剤につけたらほとんど黄ばみはなくなった。大分手間のかかる作業だった。
わざわざ時間をかけて、こんなに手間のかかることをするのはバカバカしいかもしれない。今の時代クリーニングを依頼しても大した価格ではないだろう。しかし、自分は物事をできるだけお金だけで解決しないよう心掛けていきたい。なぜなら、お金で解決する習慣が身につくと、あらゆる判断がお金と結びついてしまうからだ。そうなるとよりたくさん働かなければならず大事なことを見失ってしまうような気がする。
作業している間はラジオも音楽もかけていなかったけれど、黙々と作業をしている間も色々と考えることがあり、大して困ることはなかった。そもそも近くで一戸建てを建てているので何か音の出るものをかけていても意味はなかっただろう。まあ、何も情報を入れないこともまた必要なのかもしれない.


作業後のコーヒーが美味しい。午後はブラブラと散歩をしよう。季節の変化を観察できるかもしれない。


そういうわけでこれからも週休3日制を自主的に続けていく。

自分のペースを守って最後まで生き抜く

最近自殺してしまう人が増えているらしい。苦しみを抱えたまま最後の最後まで解決することができず死を選んでしまうのは、悲しいことである。今は僅かな手がかりを頼りに開発されてきた治療法や薬剤を信じて必要な治療を受けていただく他ない。

自分には自殺を選択してしまった人たちの気持ちを確かめる術はない。死者はもちろんのこと、この世界に住んでいる自分以外の人が考えていることは分からない。また自分のことについても10年後どころか明日、1時間後に何を考えているかも予想できない。自分のとった言動に対して数十秒後に後悔することは日常茶飯事である。

この世の中は分からないことだらけだ。それでも分かりようがないことや分かっても無意味なことを意味のある問題だと勘違いし、あれこれ言い散らかす人がいる。自分もつい無駄口を叩いてしまうことがある。分からないことは分からないと上手に受け流していける人間でありたい。

自分は他の人から見ると退屈な日常を送っている。大きな失敗はするかもしれないけれど、大きな成功には程遠い。なぜなら、自分はあらゆることを面倒に感じてしまうからだ。楽をするための努力は惜しまなかったけれど。

これからも退屈な日常を送っていくだろう。しかし、日々の食事を美味しく頂き、晴れた朝は太陽の光を浴びて気持ちを新たにし、余分な物をしっかり出してスッキリし、季節の微妙な変化を風や木々の匂いで感じ取ることで、いずれはかけがえのないものとなる日常生活に感謝し続けたい。

そして最期の時が来るまで勝手気まま自由に過ごしていくのだ。