FIREを目指す丸刈り薬剤師の雑記帳

34歳でセミリタイアした薬剤師が考えたことを気分の趣くまま記録します。大体はどうでも良い事を書き連ね、時々役に立つか分からないマニアックな記事を書いています。過去と同じ内容の記事を書くこともあるかもしれませんが、どうかご容赦願います。また投資についての記事もありますが、投資判断については自己の責任において各自判断してください。

満足化は最大化よりも難しい

株式投資の収益指標は年間の利回りで表される。そこには市場平均という一つの目安がある。これと同じ収益を得るためには現在ではインデックスファンドを購入するという方法がある。自分の投資方針に基づいてインデックスファンドを購入するために積立設定を行えば、他にやることはほとんどない。売却をした時に確定申告をするぐらいだろうか。これで満足できる人はそれで良い。しかし、さらなる収益を求めて個別企業の配当成長、配当利回り、割安度や成長性などを調べて市場平均を超えた収益を得ようと努力する人達もいる。これは収益の拡大化にあたる。実際にその方法で市場平均を超えることもできる。しかし、そのような良い収益が得られたとしてもそれが自分の成し得る最大の収益とは限らない。そこに満足できなければ、何らかの方法でさらなる危険を犯す必要が出てくる。もし、失敗してしまうと過去の収益を帳消しにしてしまい、全体として市場平均を下回ってしまうかもしれない。結局、どこかで収益向上策を止めなければならない時が来るのである。

そして、市場平均を超えるために行ってきた時間や労力は実際に得られる収益に見合うものとは限らない。市場平均を年間1%超えるために休日をすべて投資のために時間を使うことが人生に良い影響を与えるのだろうか。元本が1000万円であれば1年で10万円だけれど、30年で347万円程度と差となる。もし元本が3000万円であれば30年で1000万円程度の差となり、決して小さい金額でないことは理解できる。しかし、そのようにして得られた差額は不労収益よりは労働収益に近い性質がある。好きでなければ、続けることは難しいだろう。

 

「こんなにも長生きするんじゃなかった」というご老人もたくさんいる。年を取ると内科的疾患から食生活に制限を受けたり、足腰が痛くなったりして身体が思うように動かなかったりする。そして、若い時にできていたことが次々とできなくなっていくので、こんなに辛い思いをするのなら長生きしても意味がないと嘆くのである。今まで生き抜いてきたのにそれを悔やむのはとても悲しいことだと思う。今まで生きてきてこれたのは身体を悪くしないよう色々と健康に気を遣ったり、医療が発達してきたおかげだと思うけれど、長生きしてきたことに満足できてないのである。そして、巷にあふれる健康情報をなんでも試そうとし、お金や時間を費やすことになる。

それならば、自分が思っていた以上に長生きしていなかったら、満足できていたのだろうか。それも考えにくい。現在より年齢が低ければ、今以上にできることが多く、人生を謳歌している時期であるとも言えるからである。そのような良い時期にこの世に別れを告げるのは、ほとんどできないと思う。

良い解決策はなかなか思い付かないけれど、いつか必ず訪れる死について考えておくことは少なくとも必要だと思う。今や未来を生きていくのにとても後ろ向きで痛みも伴うことがある。しかし、考えることを先延ばしにしているといざその間近になったとき、人生に満足できたか判断する基準や考え方が無いとどうにもならない。

 

最大化というのは関数の最大値を計算するように外側からの意見や圧力で何とかしようとすることである。一方、満足化は向上の機会があってもあえてそれを行わないことである。それは、妥協に近い気がする。これで良しとするためには自分をよく知っていなければならず、外側からの圧力を受け流す意志も必要である。周りの発する意見や情報に惑わされてなんでも良いとこ取りをしようとすると、自分の目的を見失ってしまいかねない。自分の意志をしっかり持つという意味では満足化のほうが最大化よりも難しいかもしれない。インターネットが普及した現代は意思決定の選択肢が非常に多く、良く感じることに次々と手を出してくなる衝動に駆られる。しかし、そういう時代だからこそ「足るを知る」という言葉をしっかり胸に刻み、自分だけの人生を切り開いていきたい。