FIREを目指す丸刈り薬剤師の雑記帳

34歳でセミリタイアした薬剤師が考えたことを気分の趣くまま記録します。大体はどうでも良い事を書き連ね、時々役に立つか分からないマニアックな記事を書いています。過去と同じ内容の記事を書くこともあるかもしれませんが、どうかご容赦願います。また投資についての記事もありますが、投資判断については自己の責任において各自判断してください。

選択する自由が欲しい

世の中には人々をある方向に動かそうとする力が働いている。例えば学校教育。自分は学校教育を通じて様々なことを学んできて、自分の意思で人生のあらゆる選択を行ってきたつもりだけれど、それでも誰かの意見に従って生きてしまっているような気がしてならない。学校では答えのある問題ばかりについて考えさせられ、大学受験ではあらゆる問題には答えが存在するものばかりだという錯覚を感じてしまった。しかし、世の中不確実なことばかりで、明日株価がいくらになるのかという経済事象から自分がいつ空腹を感じるのだろうかといったどうでも良さそうなことまで完全に予測することはできない。自分は手が乾燥しやすい体質なので、何か物を取ろうとしても滑って落としてしまうことがよくある。一人暮らしを始めた最初の頃は包丁で自分の手を切ってしまうことが何回もあり、深い傷を負ってしまったこともある。頭で考えたことと実際に起きることが異なるのである。

テレビから発せられる映像や情報も意思決定に極めて大きな影響を与える。大学で一人暮らしをしていた時に「納豆が健康に良い」という放送があった後、スーパーの棚から納豆がほとんど無くなってしまったことがあった。ダニエル・カーネマンやトーマス・ギロビッチなど心理学者たちが主張するようにどれだけ注意をしていても人は第一印象や見かけの数字に大きな影響を受けて合理的とは言いにくい行動を取ることがあるのである。小学校の時に先生から「今欲しいもの」をたずねられたとき、自分はテレビと答えた。その時はゲームをするのが主な目的だったけれど、バラエティやアニメなどのテレビ番組も見たいと思っていた。しかし、先生からは、なぜかは覚えていないけれど、あまり良い評価を受けなかった。今ではその先生に感謝している。もし、小学校の頃からテレビ番組を長々と見続ける習慣が身についていたら、自分で考えて行動することがかなり難しくなっていたかもしれない。そして今では自室でテレビを見ることはない。たしか全国ネットの放送局は5,6局ぐらいだったと思う。つまりテレビ視聴者は5つか6つ程度の考え方に収まってしまうのである。日本には1億人を超える人がいるのにテレビを見る習慣が身についてしまうと多様性が無くなってしまう。

テレビは人々の感情を煽るような放送が多く、それが様々な意思決定に影響を与えてしまう。そして世の中の考え方が少ない意見にまとまってしまうと、政治や法律もその方向に動いてしまう。そして、あらゆることに対する選択肢が少なくなっていくのである。例えば学校教育を終えたら、就職し、結婚し、子供を育て、家や車を買い定年まで働くというのが多数派の意見であるらしい。そこから外れるとおかしいという意見に遭う。子供を育てるというのは、自分の遺伝子を残すという意味で納得しやすい意見だけれど、それに付随するように何かにつけて出費を煽る意見が多い気がする。そして、平均的な生活をしようとして、平均値を大幅に上回る出費をしてしまう。

確かに経済成長には消費が必要だけれど、住宅や教育を始めとする大粒の消費が多く、人々はそれに疲弊してしまっている気がする。もし、それらに選択肢が増えたらどうなるだろうか。例えば小さな安い家を提供する企業が多く現れたとする。1件あたりの売上は小さいけれど、これからの少子高齢化社会で売上件数が増えていけば、大手の住宅メーカーと渡り合っていけるのではないだろうか。さらに自宅を自分で造りやすくなるとそこからまた新しい市場が生まれるかもしれない。今はインターネットがかなり普及してきているので、お金をかけずに物事を学ぶことも容易になってきている。もちろん、実技を伴う学習は難しいけれど、座学であればインターネットで十分なのではないかと思う。ただし、情報の善し悪しを見分ける力は必要なので、そのための教育は必要だろう。

選択肢が多過ぎると決定麻痺に陥ることもあるけれど、他人に危害を及ぼさない限りはできるだけ選択の自由が欲しい。好きな音楽を聴く自由、好きな本を読む自由、おいしいと感じるものを食べる自由、寝たい時に寝る自由、そして何もしない自由。どれも貴重なものである。人生は一度きりだから後悔のないように生き抜き、どんな事があっても最期はしっかり死を受け止めたい。今まで会ってきた人、読書やインターネットの情報も含めてたくさんの他人の意見を基に今を生きていることは否定できないけれど、それを自分の言葉でうまく置き換えて納得できるようにはしていきたい。